通例では、エレベーターで端の方に立つのは、急ぐ人への配慮だと受け止められています。
でも、技術者からすれば、「端には立たないでほしい」ということと、「人の気持ちを尊重したい」というジレンマにさいなまれるようです。
エスカレーターの端に立つのは、配慮によるからこそ指摘しにくい
それに加えて、エスカレーターは技術的な面で考えると、端に立つことはよくないそうです。
重量配分の関係から片側ばかりに負担が増える原因となり、その結果部品の交換頻度が高くなるそうです。
おそらくエスカレーターに関係する技術者の方々は、できるだけ真ん中に立ってもらいたいと考えているのではないでしょうか。
しかし端に立つことが、歩いて上がる人のため、という好意から起こっているものであれば、頭ごなしにやめてくださいとは言いづらいですね。
同じようなジレンマは、セラピストにも見られる
ところでこのジレンマはセラピスト(理学療法士)にも共通することだなと思います。
麻痺の程度が軽く、順調に回復した脳梗塞の患者さんが他の患者さんに「自分のがんばる気持ちがあれば私のようにきっとよくなるから」と声をかけている姿を見て、「ケースバイケースなので一概には言えないけどなあ」、という気持ちと「本人の意識付けが大事だから、あながちそれは違いますとは言えないなあ」という気持ちが交錯します。
技術者(専門家)の視点を押し通せば「人を励まそうとしているひとにケチをつけた」みたいになりますし、「そうですね。その通りです。」と言ってしまえば技術者としてのプライドが「本当にそれでいいのか?」と語りかけてくるでしょう。
もしかしたらこれは、永遠に解決しない問題なのかもしれません。
そのような誤解やストレスを抱えながら仕事することも、技術者であることの所以なのかもしれません。
このようなジレンマを感じる場面に対して、適切に対応するために、これからの理学療法士にはスペシャリスト(専門領域の視点)としてだけでなく、ジェネラリスト(事象を広い視点で捉えることができる人)としてのスキルを持つことも求められるものと思います。
いわゆるテクニック論に終始するだけの理学療法士では、着地点を見つけることは難しいでしょう。
この相反する2つの着地点をどう見付けていくのか、どこを妥協点とするのか、という視点で事象を捉えることが大切です。
そして療育(発達支援)においては、子どもの身体課題を解決することが理学療法ゴールではない、という広い視野を持った理学療法士が増えてくれればいいなと思います。